夜もふけた。KIBIYAを出ると、そこは御成通りで、道はがらんと静まり返っていた。鎌倉駅に向かうつもりが、突然、南の方、海の方に歩いてゆきたいという心にかられた。鎌倉の南、由比ガ浜に帰りたい。昔、住んでいたアパートまで、歩いて帰りたい。そう思った。引越しをしてからはじめて湧き起こった感情だった。でも、そこに僕の帰るべき家は、もう、ない。さよなら。
二十一時を過ぎた大船駅。改札内のルミネにある、「すし兆」にて、タイムセールの握り寿司を買った。新年度早々、こんな時間まで働いた自分への、ささやかなご褒美だ。ルミネの扉を出ると、突然、8番線ホームに降りたいという気持ちにかられた。8番線から鎌倉まで乗って、夜の由比ガ浜大通りを練り歩くのだ。それは、当たり前のことのように思われた。しかし、もうそこに家はない。帰る家はない。引っ越してしまったのだ。ぼくは2番線ホームへとむかった。
鎌倉の南、由比ガ浜から引っ越した。引っ越し直前は準備で忙しかった。引っ越しの後、新たな生活に慣れることに手いっぱいで、由比ガ浜の旧居を思い出す余裕もなかった。一度、仕事のかかわりで鎌倉に寄った時にも、由比ガ浜の方に出向いてみようという気持ちにはならず、そそくさと新居に帰ってしまった。どうしてか、分からぬ。鎌倉の地に、まるで赤の他人のように振舞う自分がいた
ずっと、鎌倉に住んでみたかった。縁がある街なのだ。その気持ちのまま、はじめての一人暮らしに、鎌倉の地を選んだ。色々探した挙句、由比ガ浜の海岸近くに、素敵な住まいを見つけた。二〇二三年、三月のことだ。それからというもの、愛着をもってこの地に過ごしてきた。残念な形で引っ越さざるを得なくなったとは言え、この地を離れるのに寂しくなるのは、当然だと思っていた。
しかし、引っ越しまで、悲しみにひたることは全くと言っていい程なかったのだ。街を歩いても、江ノ電に乗っても、あんなに好きだった海を見ても、何も感じなくなっていた。心はうんともすんとも言わない。こんなお別れがあってよいのか。自分自身に驚いていた。おまえは鎌倉が、由比ガ浜が、好きではなかったのか、知らぬ間に好きではなくなってしまったのではないか。なぜちっともお別れの気持ちになれないのだ。どこまでも無言の心に、問うことすらなくなっていった。引っ越した後は、鎌倉に住んでいたことを忘れたかのように、新しい生活に順応していった。仕事のほか、鎌倉に足をのばすこともなくなった。
仕事が二十一時を過ぎると、夕食の選択肢は少なくなる。こんな時間まで働いたのだ、自分へのささやかなご褒美に、ルミネの「すし兆」で、タイムセールの握り寿司を買って帰る。真っ暗な山を越えて、鎌倉駅につく。駅はローカル線の各駅停車並みにがらんとしていて、観光客でひしめく休日の面影もない。夜9時の鎌倉駅が、ぼくの鎌倉駅だ。ホームチャイムの「たーららん、たーららん、たららららん」をききつつ、階段を下りてゆくひとときが好きだ。
江ノ電には乗らない。御成通りを抜け、由比ガ浜大通りを道なりに行く。自宅まで十五分程の散歩道が楽しい。思い出すのは、御成通りの石の道を踏む感触。時として東の空に見えた満月。誰もいない商店街。台湾料理屋だけが元気で、店番のおじさんが、道行く人に挨拶をしている。店さきには、できたての東南アジア弁当がひしめいている。そして、KIBIYAという名のイタリアン。帰り道のなかで、もっとも入ってみたいお店だった。こじんまりしていて簡素なつくり、窓ガラスの奥のオレンジのあかり、光を抑えて落ちついた雰囲気の店内には、幸せそうな笑顔で話す人々。アニメから飛びだしてきたような、イタリアンレストラン。通り過ぎる時は、たいてい目をやっていた。いつか落ちついたら、このお店に誰かを連れて入ってみたい。通るたびに、妄想を掻き立てられる、夜のKIBIYA…。幾度、こんなことを考えつつ、このお店の横を通りすぎたことだろう。
引っ越して後、はじめてKIBIYAで食事をしたのも、ひょんなことからだった。小町通りまで、友人の買い物に付き添い、共に夕食をとることとなる。うまいお店が見つからず、駅の反対側まで来てしまい、御成通りに入った。そこで急にKIBIYAを思い出したのだが、友人もお店を知っており、「一度並んで入れなかったから、是非行きたい」と背中を押されて入った。
たしかに、ぼくはそこで、心ときめくひとときを過ごしたのだ。